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2019.0830 O.A 釧路市埋蔵文化財調査センター 澤田学芸員 「釧路の亀ヶ岡式土器」 [motto museum]

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亀ヶ岡式土器を研究している澤田氏、実は釧路にも存在するということでこの地にやってきたのが今から約10年ほど前のこと。そもそも亀ヶ岡文化は縄文文化(約3000年前に)北海道渡島半島・東北地方を一円に発展した土器文化です。その影響は北海道北部から北九州にも及んだそうです。亀ヶ岡式土器は、1930年、山内清男氏の岩手県大船渡市大洞貝塚の発掘調査により発掘地点の名称から6つの型式に分けられ、その特徴は、深鉢・皿・壺・注ぎ口土器といった土器のバリエーションが多く、模様も雲形文、工字文など綺麗なものが多いのです。さて、釧路市内の亀ヶ岡式土器は、幣舞遺跡や緑ヶ岡遺跡から在地の土器に混じって出土しているそう。釧路で見られる亀ヶ岡式土器の特徴は、出土遺物のほとんどが壺ということ、そして、文様・器形からその主体は亀ヶ岡文化の終わり頃とほぼ限定されるそうです。さらに、他の道東域(根室・斜里・網走など)と比較しても出土量が多いのです。釧路での出土は1000点以上あり、道東でも稀なのだとか。そのほとんどが壺で、S字状を基に描かれた文様とのこと。釧路の土器の中にも亀ヶ岡式土器の影響を受けたものもみることができるそうです。こちらのヒトも亀ヶ岡式土器を真似て、取り入れようとしていたのかもしれません。また、少量ですが本州弥生時代の土器である砂沢式も出土していることから考えても、当時縄文晩期末から弥生時代初頭(釧路では続縄文初頭)までヒト、モノの交流があった可能性が高いと澤田氏。今回のお話しをお聞きなって亀ヶ岡式土器が気になった方はぜひ博物館に足を運んでみてください。お話しに出てきた土器は2階に展示されています。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/maibun/shisetsu/1001.html

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