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2021.0326 O.A 釧路市立博物館 野本学芸員 「自然再生とは・・・?」 [motto museum]

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自然再生に関わる色々な会議に参加する機会が多い野本氏。今回はそもそも釧路湿原の再生ってどういうこと?というお話しから伺いました。釧路湿原自然再生事業とは、2003年1月の自然再生推進法施行に基づき、2003年11月に釧路市を含む釧路川流域5市町村、環境省、国土交通省、農水省、北海道、NGO、流域住民等様々な方々によって構成される釧路湿原自然再生協議会が発足。当時は105名の個人・団体でスタートし、現在は144名の個人・団体へとさらに参加する方が増えているそうです。ここのコーナーでも説明していただいた「魚道作り」に関しては行政主導だった釧路地区では珍しく市民が主体となり、地域の酪農家も参加するなど連携体制や信頼関係の構築という点でも全国のモデルケースになるという高評価をいただいたそうです。釧路川流域は5市町村にまたがり、河川の管理は国、北海道、市町村に細分化され、森林については流域の約半分が民有林、湿原周辺は9割が民有林。社会制度を背景とする難しい課題が山積みなのが現実の様です。そこで、3月1日の協議会本会議で、社会制度を背景とする複雑な課題についても既存の重要な生態系の保全に取り組むための「ワーキンググループ」を発足することが報告されたそう。山積する課題解決に向けて継続して協議をしていく、できるところから取り組むことが明確化されたとのこと。「防災・減災」「地球温暖化防止」「漁業」「観光」「遊漁」「生物多様性」等、流域住民に多くの恩恵をもたらす湿原の保全・利活用・将来像について話し合う場として、釧路湿原自然再生協議会は今後も時代の流れや社会情勢に合わせて進化していくと。魚類専門家の立場から野本氏の貢献も期待されるところが大きいということでしょう。
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2021.0319 O.A 北海道立釧路芸術館 藤原学芸員 「羽生輝の勉強」 [motto museum]

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この1年半くらい、釧路在住の日本画家、羽生輝氏の画業と作品について勉強なさっていると藤原氏。彼は1941年に東京に生まれました。7歳の時に釧路に移住し、それからずっと釧路の地で制作なさっています。現在の北海道教育大学で油絵を学び、その後、日本画家久本春雄氏のところへ通い、やがて油絵から日本画に転向します。また、彫刻家の舟越保武氏にもデッサンを見てもらうこと等もしたそうです。その活躍は釧路にとどまらず、「創画会」という日本画の分野で重量な全国規模の展覧会にも継続出品し、最高賞を3度受賞。道内で唯一の創画会会員として審査に関わる等、北海道全体の日本画界をリードする存在です。作品は皆さんもご覧になった方も多いと思いますが、大きな画面に道東の浜辺を中心とした凍てついた冬の風景を描き、自然の厳しさやその奥深さを表現したものが数多くあります。一方で、挿絵の仕事も手がけたそうです、釧路ゆかりの作家、原田康子原作の「挽歌」。この「挽歌」が釧路新聞に連載されることになった時、挿絵を添えたのが羽生氏だったのです。全189回の連載の挿絵を書き終えた時に彼は「多くの人々から愛読されてきたロングセラー小説だったので、登場人物の具体的イメージが読者の中ですでに形作られていることへの不安と怖れがあった。」と語っているそうです。それまでとは違った人物、花、室内や屋外の情景など、各回のエッセンスを汲み取ったモチーフや細い線や大胆なタッチなどモノクロームの表現の中にも変化に富んだ表現が展開されています。もちろん彼にとっても新しい挑戦であり、新たな展開への一歩にも繋がったのだと思います。
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2021.0312 O.A 釧路市立博物館 加藤学芸員 「謎が謎を呼ぶ?標本」 [motto museum]

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古い古い明治時代の植物標本をお持ちになっての収録。収蔵庫の整理をしている中で、採集者不明の古い未整理標本の中から見慣れない標本の束が出てきたそう。台紙に貼られたシダ植物の標本で、そのラベルには「笠井文夫採集」と印刷され、「阿波国」という地名と採集した年が書かれていたそうです。この「笠井文夫」という人物は一体誰なのか?そこから謎解きが始まりました。ところがネットでとことん検索しても、情報がほとんどない。それでも色々調べているうちに、どうやら徳島の人らしいことがわかりました。また、植物学者の牧野富太郎、北村四郎の論文にも名前が出てきて、牧野富太郎が記載した新品種クルマアヤメのタイプ標本の採集者となっていたと。さらに、徳島県の高越山の植物を調査した人らしいということもわかってきたそう。ただ、他の笠井さんと混同されている感じもあり・・。どうやら徳島には笠井姓が多いということもわかりました。釧路を出ずに調べるのが限界かな?と思っていた矢先、嬉しいことも。去年11月からケース一つのミニ展示を博物館で開催しました。それを取材した新聞社の方が徳島県立博物館に問い合わせをしたことから、そこの学芸員の方と繋がりができたそうです。徳島県立博物館にもこれだけまとまった明治期の標本はないこともわかりました。現在、徳島の郷土史家の方の協力もあり、「笠井文夫」について調査は続いています。小学校の校長先生だった?とか、牧野富太郎との交流など、古い新聞や文献から少しずつ分かってきた事実も増えてきたそうです。今後も調査は続きます。いつか「里帰り展示」もできたら・・という夢も。それにしても収蔵庫にはまだまだお宝が埋もれている可能性もあるという事なのですね。
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2021.0305 O.A 釧路市こども遊学館 小笠原学芸員 「ボランティア大活躍!!」 [motto museum]

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今回は、遊学館で活躍するボランティアの方々についてのお話しです。様々な活動をなさっているのですが、例えば、工作や実験のサポート・その下準備作業。天体観測会のサポート等、その幅はとても広いそうです。その中でも絵本の読み聞かせのボランティアについて熱く語っていただきました。絵本の読み聞かせは誰もがほぼ経験したことのある、身近かなこと。ハードルが比較的低いので参加する方も多いそうですが、実際にやってみるとアレ?なんだか違うと戸惑うこともあるそう。その為、絵本の読み聞かせ研修を開催したそうです。自分の子供に絵本を読み聞かせるのと違い、10人位の年齢層様々な子供達を前に絵本を読むのはやはり違い、そのコツがあるそうなので、そこを伺いました。まずは絵本の持ち方、一緒に絵や文字を見ながら読み進めることができないので、自分は斜めに文字を追う感じ。さらに絵本を動かさない様に、手で絵を隠すことのない様に等々・・なかなか難しそうです。また、0歳から5歳位までの子供達が同じ所にいた場合、どこに合わせてどういう絵本を読むのが良いのか?この場合は、0歳には繰り返しの言葉や心地よいリズムに着目したものを選び、だんだん大きい子供にもわかる内容にしていくそう。1歳から3歳までの子供には、身近なテーマ(ご飯・お風呂)等の簡単なストーリー性のある本、4歳から5歳までの子供には、言葉あそびや自然科学や身の回りの不思議がテーマになっているものを選ぶそうです。研修では釧路中央図書館の協力もあったそうで、今後絵本を図書館からお借りして展開する等も考えているそうです。たくさんの読み手がいるとバラエティに富んだ読み聞かせにもなりそうです。興味がある方はぜひ遊学館のHPをチェックしてみてください。何より子供たちの笑顔とイキイキした反応にやりがいを感じるそうです。
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2021.0226 O.A 釧路市立博物館 貞國学芸員 「やっぱりカラス大好き!」 [motto museum]

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国内唯一鳥専門の雑誌「BIRDER」をおもちになってのお話し。なんとここでカラスの特集が組まれたそうで、嬉しそうな貞國氏。希少な鳥や綺麗な鳥が特集されることがあってもカラスが特集されるなんて、それは市民権の向上ではないかとおっしゃっていました。内容はカラスの漫画、カラスの賢さ、ハシブトとハシボソの識別、羽の綺麗さ、世界のカラス等々。その中で気になったのはやはり賢さ。まずは、学習結果を1年間記憶していたというもの。赤・緑・青・黄と2種の配色図形を印として、どちらに餌があるのかを記憶させました。その実験を1年後も実施し、成功したそうです。さらに人の顔を見分けることができるのです。いつも世話をしてくれる人が現れると羽を柔らかく上下して喜びを示すそう。服装が替わっても結果は同じなので、明らかに個人を認識している仕草とのこと。また、カラスには数の概念があるそうです。餌箱の蓋に様々な数のシンボルをランダムな位置に印刷し、数の多い方に餌を入れて提示。同じ数でもパターン化した模様として記憶されないように、絵柄や配置は不定にしたそうです。結果、カラスはシンボルの数が多い方を常に選んだそう。数の多い方を選ぶカラスはやはり数量の概念が備わっていると考えられるとのことでした。さらにビックリする事実が・・。これは雑誌には載っていないそうですが、カラスは将来の報酬のためには今目の前にあるものを我慢をする事ができると。これは人間にも厳しい様な気もします。最初の餌よりも次に出る餌が大きいと学習すると、目の間に餌を出されても我慢できてしまう!すごいですね。中には犬よりも賢いと思われる点もあるそう。お家で見かけるカラスたち、しっかりあなたを認識している様です。
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2021.0219 O.A 北海道立釧路芸術館 井内学芸主幹 「好きな二人のアーティスト」 [motto museum]

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今回は河原温と太田三郎というアーティストのことをご紹介。お二人に共通するのは身近な素材をアートとして制作し続けた作家ということ。お一人はカレンダー、お一人は切手をモチーフにしています。河原温は一日一枚、その日の日付を油彩画として描き続けた方。1966年から2013年まで描き続けました。365日、48年間同じことを続ける・・・「ほとんど修行僧の世界ですね」と井内氏。確かに凡人には1週間続けることも難しいことかもしれません。河原温は自分で描くことをしましたが、太田三郎はそれすらしない制作を実践した方。切手シートを購入し、それを一枚一枚バラにして、1日に一度その切手を持って郵便局に生き、その日の日付を押してもらいます。それを日付順にまた、20枚1組の切手シートに構成し直し、作品にしたそうです。それがアートになる?と思わず思ってしまいますが、これもなかなか大変なことの様です。デスクワークに没頭しなければならない日も、出張の日も、具合が悪い日も、天気が悪くても、とにかくその日、時間を見つけて郵便局に行き、スタンプを教えてもらう。これを延々と続ける、こちらも同じ様に修行僧の世界。作品化された作品からは、「この日は夜に郵便局に行ったんだ」とか、「これは別の地域の消印なので、どこかに行った時なんだ」等、色々と想像が膨らむ世界です。「この二人が制作した過程だけを聞くとただの変な人とうつるかもしれません。ただ、共通するのは私たち一人一人が一日一日を生きていくこと、それ自体が、人の心をうつ素晴らしいことだと気づかせてくれるということなのです。」永遠のテーマである時間・生きる・積み重ねる・・・あらゆる人にとって人種も地域も世代も関係なく伝わるアートを実践したお二人、今回は、井内氏が大好きな作家の紹介でした。
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2021.0212 O.A 釧路市埋蔵文化財調査センター 高橋学芸員 「博物館の2Fにて」 [motto museum]

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釧路市立博物館の2階で一番目立つものは何でしょう?やはり壁に目がいくという方が多いと思います。貝塚の跡や炉の跡。今回は考古学展示の中で一番古いものを伺いました。それは縄文時代よりも古い旧石器時代の遺物です。今からおよそ1万年前のもの。その展示には黒曜石を使った石器がたくさんありました。北海道にはこの黒曜石の産地が多いそう。石器の材料として使える黒曜石は釧路の近くではあまりないそうですが、産地分析の結果、旧白滝村(遠軽)、置戸町などが多いそうです。黒曜石は加工しやすいのでしょうか?ガラスと同じような性質なので、刃物として石器を作るときには貴重な材料になったとのこと。それは狩猟道具として、料理を作るときの道具として、また道具を作る時の加工用の道具としても。展示の中には大きな黒曜石の塊も見てとれました。それは石器の材料となった跡のものとのこと。ですから黒曜石から石器の材料になる過程もわかるのです。どう取り出されたのか?想像するとなんとなくワクワクしてきます。これだけの作業はそう簡単にできたものではないと思うのですが、昔の人の方が器用だったのでしょうか?「それが食に直結するので必死さが違うと思いますよ。」と高橋氏。靴べらみたいな形をした石刃、それよりも小さな細石刃。ともに石器の材料として使われたのです。これが時代が進むとさらに石器の種類が豊富になります。形も様々に。人間も歴史とともに進化して、その人間が作る石器も進化したという証拠がそこにあるのです。なんだか不思議な気持ちになる空間です。
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2021.0205 O.A 釧路市こども遊学館 多胡学芸員 「冬の星座の見つけ方」 [motto museum]

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星座を見つけるのは難しいですよね・・・。でも冬は釧路は晴れることが多いので、空気も澄んでいて星座を見つけるチャンス!!とのことで教えていただきました。2月の上旬、夜の8時頃南を向いて、真ん中くらいの高さの空を見ると、リボンを縦に結んだような特徴的な星並びを見つけることができます、このリボンの星並びがオリオン座。オリオン座は巨人の狩人オリオンの姿です。向かって左側の右腕には太いこん棒を持ち、頭上に高く掲げています。向かって右側の左腕にはライオンの皮でできた盾を持っています。その右肩で輝く赤い星が1等星のベテルギウス、オリオンの左足に輝く一等星はリゲル。オリオンの腰のベルトに輝く3つ等間隔で並ぶ星は三つ星と言います。このオリオン座を見つけることができると、冬の星座をいくつも見分けることができるそうです。例えば、オリオンの腰の部分の三つ星を右上に線を伸ばすと赤く輝く星があります。牡牛座の一等星、アルデバラン。さらにもう少し伸ばすと数個の星たちが集まっているのが見えます。プレアデス星団。日本ではスバルという名前の方が有名ですよね。そしてもう一つオリオン座に戻り、右下の青白いリゲルと左上の赤い星ペテルギウスを線で結び、そのまま左上の方に2倍ほど伸ばすと、2つの仲良く並んだ星が見つかります。これがふたご座の星々。自分のお誕生日星座は誕生日の3~4ヶ月前の夜8時頃に南の空で見つけることができるそう。ぜひチャレンジしてみてくださいね。この他にも冬の星空にはたくさんの星座があります。夜空には一等星は21個しかないのですが、冬にはそのうち7個をみることができるそうです。ほかの季節に比べると明るい星が多く見つけやすいということ、窓から南の空を眺めてみるだけでも色々な星座を見つけることができると思います。
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2021.0129 O.A 釧路市立博物館 城石学芸員 「アイヌの編み物のこと」 [motto museum]

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編み物と織物の違いってわかりますか?難しいですよね。技術的な定義としては、織物は縦糸と横糸があり、その縦糸にテンションがかかっているもの。テンションがかかっていないものが編み物とされているそうですが、そう簡単には割り切れるものでもなさそうです。ところが、アイヌ語の場合は、作る対象物によって呼び方が変わるそう。例えば、シタイキは織り機で作るアットゥシ等。オシケは、編み袋とか帯等。テセはゴザ。とてもわかりやすい感じがします。その編み物に使う道具がとても変わっていると思ったのですが、ゴザを編む場合、石をおもりに使い単純作業の繰り返しで徐々に編んでいきます。ゴザは日常生活にも儀礼にも欠かせない道具。材料には、ガマやフトイ等の植物を主に使います。模様を入れる儀礼用には、赤や黒、茶色の布や染めたオヒョウ・シナの繊維を編み込み、編むための糸には、伝統的にはオヒョウの繊維から作った糸などを使ったそうです。模様は線対称のものが多く、装飾的に描かれたものの様です。編み袋も基本実用的なので、模様がないものが多いのです。山へ山菜を採りに行った時にそれを入れたり、狩猟をした際に切り分けた肉等を入れたりもしたそう。現在はお土産用として刺繍や毛糸を使った模様が入っているものもあるそうです。編み物の素材としては、ガマ、ブドウの蔓、オヒョウ、シナなどの植物繊維を使うことが多く、現在は新しい素材としてビニール製のものや毛糸なども使われているそう。織る・編むという伝統的な手仕事の技術、そしてその技術を用いて作られた品々。そこにはそれを使う相手へのアイヌ女性の様々な思いが込められていると感じるのは私だけではないでしょう。
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2021.0122 O.A 北海道立釧路芸術館 熊谷学芸員 「拝むだけじゃない仏様」 [motto museum]

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仏様といえば、お寺の仏像をはじめとして美術館や博物館では見るもの、拝むもの・・・というイメージです。ところが、見る・拝むにとどまらず、今回は使われてきた仏様のお話しです。スタジオにお持ちいただいたのが、「山越阿弥陀図」。鎌倉時代につくられた仏画の形式の一つです。その山越阿弥陀図の中でも有名な「金戒光明寺」には大きな山の向こうから姿をのぞかせる阿弥陀仏が描かれているのですが、左右の手はそれぞれ親指と人差し指で輪を作り、胸の高さまであげています。これは説法しているところという事を示すポーズです。そしてその指先には糸の痕跡が・・・。この糸は臨終を迎える人の手と繋いだものなのだそう。この作品はかつては屏風仕立てだったそうです。枕元にこの屏風を立て、糸を握ることで、阿弥陀仏と繋がることができるという感じでしょうか。極楽浄土へ連れて行ってもらえるイメージです。さらに阿弥陀仏は高いところから下を見下ろすような目をしています。床に伏せている人と目があう仕組みになっているのです。この様な仏画の他に、実際に仏像にも同じような糸がつけられているものもありました。「法然上人絵伝」には臨終を迎える法然に、仏像に結んだ紐を手に取るように弟子が勧めている場面が描かれています。ところで、芸術館で去年開催された毛綱毅曠展にも似たような作品があったのをご存知でしょうか?「建築古事記 天の浮橋」というタイトルがついた作品です。夕焼けのオレンジ色の背景がとても印象的だったもので、近未来的な構築物から顔を出す仏様の姿が描かれていました。それを山越阿弥陀図と比べると結構似ているそうです。おそらく毛綱氏が仏教美術史にも精通し、作品世界に取り込んでいたことを示しているのでは・・・と熊谷氏はおっしゃっていました。
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