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2020.0529 O.A 釧路市立博物館 城石学芸員 「ウポポって?」 [motto museum]

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ウポポという言葉をよく聞くことがあると思うのですが、座り歌や輪唱歌という意味で、広義では歌のことをさすそうです。またリムセとは踊りのこと。座り歌は、手を叩いたり、シントコの蓋を叩いて拍子をとるのです。シントコの現物をスタジオにお持ちいただいたのですが、直径40~50cmの円形の容器、漆器とのこと。深さとしては70cm位。この中には穀物や木の実等を入れていたそうです。蓋を叩いていただきましたが、特に素敵な音がするわけでもないのですが、この蓋を複数の人で一緒に叩いていたのです。それだけでもアツくなりそうな感じがします。実はウポポの語源は、ウ=お互いに。ポ=熱いという意味なのです。さらにリムセも溶けて熱くなるという意味。歌も踊りも集まってきた者が互いに熱情を持って1つの雰囲気に溶け合うという意味合いがあるのです。さて、その歌い方についてですが、伝統的な歌唱法は、息の摩擦音、地声と裏声の入れ替え、喉を閉めて音を途切れさせる等様々な声(音)を使います。そう簡単には真似することはできなさそうです。やはり小さい頃から慣れ親しんで体で覚えていく感じなのかもしれません。今回は2曲、同じ歌を歌い手が違うバージョンでご紹介。ウポポからリムセに移行するための歌、ウタレオプンパレワの歌です。「さあ皆さん、立ち上がり歌に合わせて踊りましょう!」という意味です。最後は釧路市立博物館の展示コーナー「メナスンクル ミンタラ」について。民具等のモノだけでは紹介できない文化の一部を映像等を使って4月から上映しています。例えば、阿寒湖の木彫家や釧路のムックリ奏者&制作者、お祭り、古式舞踊、アニメ等々。よりわかりやすく、その雰囲気を感じることができると思います。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

2020.0522 O.A 釧路市立美術館 武束学芸員「雨過天青」 [motto museum]

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台北に調査に行かれて出会った青磁。穴があくほど見つめ、眺めてきた様子。今回は故宮博物院のことをアツく語ってくださいました。故宮博物館、白菜や豚の角煮が有名。たくさんあるコレクションの中から陶磁器コレクションに目を惹かれたそうです。清の乾隆帝は在位60年という長い期間に自ら文物の考証を行い、大規模な人力や物資を投入して、清朝宮廷のコレクションを築き上げました。ですからものすごい数の素晴らしい品々が展示されているのです。特に気になったものが青磁。国営の陶磁器製作所の中でも最高と言われる汝窯の作品。現在の目でみるととてもシンプル。でも当時は釉色とカタチのデザインが特に重視されていたことがわかると武束氏。汝窯の青磁は「雨過天青」の色。これは雨上がりのしっとりとした水気を含んだ空の色のことをいうそうです。中国青磁の最高峰とも、人類史上最高の焼き物とも呼ばれるそう。青よりも白く、やや灰色を帯びていて、気持ちを鎮めるような穏やかな青です。それを見る限りでは、とても薄い作りの焼き物で、手に持った時の質感と重さを妄想するのも楽しかったと。汝窯のものは世界で現存するものは70点あまりしかないそうです。この窯は稼働した年が約20年と短命でした。また宋代の五大名窯中、定窯が民営である以外は北宋後期以後に建造された政府の窯だったのです。さて、焼き物には繊細な文様が描かれたものも多くあります。意味として知っておいて損がないものは・・・龍の爪の数と。中国の焼き物では龍の爪の数は所有者の身分の違いを表すそうです。5本の爪の龍は皇帝への献上品。4本は貴族への献上品。そして3本は庶民用。もし家に5本の爪をもつ龍が描かれているものがあれば、中国王朝のお宝もしれません。
https://k-bijutsukan.net/

2020.0515 O.A 釧路市立博物館 土屋学芸員 「意外と知らない釧路のクモ」 [motto museum]

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今年3月、北海道教育大学釧路校の和田山優輔氏から卒業研究のために採集された釧路産クモ類標本61種、501点が釧路市立博物館に寄贈されたそうです。クモは気持ち悪い!標本なんかもらって何になるの?そう思われる方も多いと思います。そこで今日は標本がいかに役に立つかというお話しをして下さいました。北海道からはこれまでに600種以上のクモが見つかっているそうです。そのうち釧路にはどんなクモが何種類位いるかは実はまだ良く分かっていないそうです。なぜなら地元でクモの研究をした方がこれまでほとんどいなかったから。今までにも博物館には生き物の名前を教えてほしいと色々な方から問合せを受けたそう。その様な時に一番確実な調べ方は、すでに名前が分かっている標本と見比べることなのだとか。標本は原寸大なので大きさだけでもある程度の見当がつくそう。加えてあらゆる方向から観察できるのが写真とは違うところ。ルーペや顕微鏡を使えば身体の細かい部分も拡大して観察できます。標本が持つ情報量というのは、写真とはけた違いに大きいという事なのです。釧路市立博物館にはこれまでクモの標本はほとんどなかったそうです。その為名前を教えてといわれても、標本と見比べて調べる事ができず、分からなかったのです。今回寄贈されたクモの大部分は釧路湿原や標茶町の森林で採集されたもの。大きさが数mmという小型のクモ等名前を調べようにも標本を見ないと分からないといった類のものが多く含まれていました。今後は釧路にいながらにしてクモの名前が調べられる様に。和田山氏は現在は琉球大学の大学院に進学され、沖縄でクモの研究を続けられるそう。「日本では数少ないクモの研究者として活躍される事を期待しています。」と土屋氏はおっしゃっていました。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

2020.0508 O.A 釧路市こども遊学館 小笠原学芸員 「遊学館を紐解く」 [motto museum]

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現在では全国にたくさんある子供向けの施設。その中でも釧路市のこども遊学館はとても珍しい成り立ちを持っています。遊学館が開館して今年で15年。でもその前からずっと構想は続いていたのです。1991年、青少年科学館の改築と中央児童センターの建設事業の検討が始まりました。その4年後に「こども遊学館構想」が位置付けられ、本格的に遊学館設置にむけ始動。1998年、市民による「こども遊学館を考える懇談会」の設置や施設の検討がスタートします。ここには市民が主体的に遊学館のハードからソフトに関わる施設の基本設計に関わりました。メンバーは市民の他に科学や幼児教育関係者、小児科医等々。その2年後2000年、市民準備組織として「こども遊学館をつくり・育てる会」が組織化されます。年間100回以上の会議を重ね物事は進んでいきました。トイレの位置、フロアのレイアウト、部屋の広さ、展示物、プラネタリウムの座席等々、基本設計から実施設計のプランを市民が議論を重ねて形作っていったのです。現在の遊学館の直径16mの屋内砂場の構想もここから誕生しました。そして2003年、市民が作り育ててきた遊学館の事業運営を誰に託すのか・・・ということに。自分たちが構想してきたものを人任せにして良いのか?ということで当初のメンバーから「こども遊学館市民ステージ」というものを発足。市民が子供達のために、やりたい遊びや学びを実現できるためのステージを作るという思いが込められているのです。いわば市民と行政・施設との接着剤的なイメージです。2005年、7月9日にグランドオープン。毎年10万人もの人が訪れる施設になりました。「まだ果たせていない役割、課題も多いと思います。これからも市民とともにまだまだ成長できる、すると思っています。」
http://kodomoyugakukan.jp/

2020.0501 O.A 釧路市埋蔵文化財調査センター 澤田学芸員 「昔の人は何を食べていた??」 [motto museum]

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日本には四季があり、それが日本の良さでもあります。当然昔の人々も季節に合わせて生活を営んでいたことでしょう。冷蔵庫はないので、旬の美味しい食べ物を口にしていたのかも。では一体どの様なものを食べていたのでしょう?実は今の日本人とあまり変わらないかもしれません。春は行者ニンニクやコゴミなどの山菜。秋はヤマブドウやドングリ、栗などの木ノ実。そしてトド。トドは5〜7月にオスが上陸して縄張りを形成し、複数のメスとハーレムを作ります。そして春から夏に出産。そのトドをとって食べていたそうです。流石にこれは現代ではあまり食べないですね。冬にはおそらくエゾシカ等を食べていたと考えられているそう。釧路には東貝塚(縄文前期)と幣舞遺跡(縄文晩期)などの貝塚がいくつもあるのです。釧路は海の街です。釧路湿原が現在の姿になったのは縄文の終わり頃。それまでは釧路市街地は海だったと考えられています。さて、釧路の貝塚からは多くの食に関するものが・・。一番多いのはアサリ等の二枚貝、魚はカレイ類が主体とのこと。季節によって回遊魚であるブリ(夏季)やマダラ(冬季)も。他にはオットセイやアシカといった海獣類も見ることができるそうです。珍しいものとしてはアホウドリ。釧路の沖合では見ることがあると聞いた事があるのですが、このアホウドリはおそらく羽を何かに使ったのでは?ということでした。貝塚から出土する動物遺存体の中には季節性がうかがえるものもあるそうです。最後に澤田氏は「貝塚から出土するカキの貝殻を見るととても大きいんですよ。さぞ美味しかったのだろうな。食べてみたいな。釧路の海産物は美味しいので、多分昔も美味しかったのだろうな」と。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/maibun/shisetsu/1001.html

2020.0424 O.A 北海道立釧路芸術館 熊谷学芸員 「仏さまのカタチをしていない仏さま」 [motto museum]

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仏教の祖であるゴータマ・シッダールタ(釈迦)は紀元前5世紀ころの人物。その頃から仏教ができて今に至っています。実は仏像が作られないまま信仰される時代(無仏像時代)を経てから仏像が作られる様になったそうです。というのは、最初は仏像は作ってはいけないものだったのです。仏は人間を超越した存在と考えられています。ですから仏像が作られる様になるまでの間は「仏を表現するなんて恐れ多くてそんな事はできない」という考え方だったのです。ただ、そうは言っても釈迦の人生を壁画やレリーフにするなど造形活動は行われていたそう。では、表現してはいけない仏をどう表現したのでしょう。例えば菩提樹を使ってその周りには拝む人々がいる図。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたとされている事によります。また、足跡。これは仏の周りの人たちが足跡を拝んでいる図。仏様の足の裏には特別な模様がついていて、普通の足跡ではない事は明らかです。さらに車輪(法輪)。仏の教えが車輪の様に遠くまで広まっていきます様にという意図が隠されています。また傘というものもあります。高貴な人しか傘をさすことが許されていなかったことから釈迦の象徴になったそうです。ということで、仏の姿をブッダを象徴するモチーフに置き換えて表現していたとのこと。写真を見せていただいたのは車輪と菩提樹がモチーフになったもの。紀元前2世紀頃のものだそうですが、とても状態が良い感じで彫りが深く、詳細に表現されていました。木の様な色に感じたのですが、これは砂岩に彫られたものだそうです。知らないうちに風化したり、戦争で亡くなってしまったものもたくさんあると想像できるのですが、写真のものはとても綺麗でした。
http://www.kushiro-artmu.jp/

2020.0417 O.A 釧路市立博物館 戸田学芸員 「市内の神社」 [motto museum]

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市内の神社について、20年以上前に戸田氏が調査した内容を元に、お話しをしてくださいました。神社はいろいろな所で見かけることがあるのですが、地域的な分布としては釧路川以東にその半数が存在しているそうです。旧釧路市内、戸田氏が調査したときには22箇所。現在は無くなってしまった所もあるとのこと。やはり海の近くにある神社が多い感じです。ただ、内陸にも人が住んでいる集落には点在しています。祀っている神様は海にまつわる神が多く、港町釧路を彷彿とさせます。そして一番多いのは、お稲荷様。この神様は五穀豊穣、商売繁盛など栄える事に関係するので、数として多いのは納得できますね。また、場所によっては移住者が元々の土地から持ってきたものも多く、その伝統も同時に伝えられているものがあります。典型的なのは鳥取神社。麒麟獅子舞などがそうです。境内にあるものとしては、寄進物や石碑など。地域に関する人で出来事等をそこから知ることができるとおっしゃっていました。すでになくなってしまった神社としては寿町にあった御得稲荷神社。この社は現在は厳島神社の中にあるそうです。そして、南大通にあった武富稲荷。こちらは社は残っていないそう。人々と切ってもきれない関係、心のよりどころとして存在した神社。人がどんどん減っていくこれから、もしかすると神社もその数が減っていくことになるのでしょうか。初詣や例祭以外にあまり訪れる機会がない方が多いと思いますが、地域を知ることができる場所、それが神社なのです。
※なお、写真は北斗にある平戸前(ひらとまえ)神社の本殿、戸田学芸員からお借りしました。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

2020.0410 O.A 釧路市こども遊学館 小笠原学芸員 「おうちdeあそぼう!」 [motto museum]

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新型コロナウイルスの感染拡大を防止のため施設の休館などがあり、遊学館も休館していると思われがち。ワークショップやサイエンスショーなどは当面中止に。そんな中、お家にいても楽しめることを・・と遊学館のスタッフは色々と考え、即実行。本当にスピーディに動かれました。1:家の中で、少人数でも遊べること。2:家にある材料や道具でできる工作。3:過去に遊学館で実施したプログラムを取り入れる。この3つがキーワードです。遊学館で15年間蓄積したプログラムはたくさんあります。そんなプログラムをこの機会に・・ということで発信中です。メニューはたくさん。大きく分けると、季節の折り紙、遊び色々(新聞紙遊び、楽器作り、ペットボトル工作)、伝承遊び(あんたがたどこさ、あやとり)、科学工作、実験(アイス作り、フルーツ飴作り)、天体観測(春の星座探し等)。どれもこれも遊学館で今までやってきたメニューです。これをご覧になると遊学館でどういったことをやっているのかが一目瞭然。実は一番最初に実施したプログラムが折り紙。これは向かい合って撮影すると全くわからない。そこで考えたスタッフ、脚立を用意し、折り紙をおる人の頭の上の方にタブレットをおき、そこで録画。編集も効果音もなるべく省略し、シンプルに作られています。こんなにスタッフの顔がわかる動画は他のmuseumにはないかもしれませんと小笠原氏。動画慣れしているスタッフも、恥ずかしがり屋のスタッフもとにかく精一杯、自分たちができることを紹介しています。大きな嬉しい反響もあったそうです。他の全国各地のmuseumとの連携も生まれ、新たな何かが見えてきたのはいうまでもないことの様です。
http://kodomoyugakukan.jp/

2020.0403 O.A 釧路市立博物館 石川学芸員 「雄別炭礦閉山50年」 [motto museum]

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雄別炭礦は1921年に開坑し、1970年2月27日に閉山しました。今年、閉山して50年を迎えたのです。「50年掘り続け、閉山して50年、記念すべき年なんですよ。」ということで、今年の12月からは釧路市立博物館で雄別炭礦閉山50年の企画展を開催する予定とのこと。現在、まさに資料を収集している途中です。今までにも関係者のお話しを伺ったり、資料も関係者からお借りしてという事もなさっているそう。その中で気になったものとして、お店の包装紙があったそうです。普通なら捨ててしまいそうな品物ですが、生活の香りのするものが嬉しいと。他には、マッチの箱や地図、手ぬぐい、ポスターなども。人々が暮らした痕跡がそこに残っているものが、ご覧になった方にとっても懐かしいと感じるのではないでしょうか。知らない方にとっても生きた暮らしの雰囲気が伝わるのではと思います。現在、プレ企画として、当時の写真をイオンモール釧路昭和内郵便局と釧路愛国郵便局で展示しているそうです。また、イオンモール釧路昭和内郵便局では、閉山50年記念消印を押してくれるそう。2月27日から始まったそうですが、多くの方で賑わっていたそうです。さらにデザインが炭礦の坑口というのもレアですね。「何より閉山50年記念・・の消印なんてほかに聞いたことはないですよね。」その通りだと思います。まだまだ博物館では雄別・尺別・上茶路炭礦に関する証言・写真・当時の資料や道具等を募集中とのこと。お心当たりのある方はぜひ博物館へご一報を!「書籍〜釧路炭田・炭礦(ヤマ)と鉄路と〜は2014年の初版以来、版を重ねたのですが、さらに石炭列車の廃止を反映させた増補版を刊行しました。興味のある方はぜひ!もちろん雄別のことについても記していますよ〜。」と石川氏からのお知らせでした。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

2020.0327 O.A 釧路市立博物館 野本学芸員 「イトウラブ」 [motto museum]

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イトウの研究を学生時代から続けている野本氏。そもそもイトウの研究を続けたくて釧路にいらっしゃったのです。当初はイトウの生態研究に始まり、その後その幅が広がり、本や新聞記事の収集等野本コレクションが増えていきました。その中からの紹介です。イトウの故郷、釧路地方ではこれまで多くの釣り人や作家、画家、研究者等、イトウの魅力に魅せられた多くの人々がイトウを追い求めてきたのです。まずは10年ほど前に野本氏が知人からコピーさせていただいたという昭和45年の新聞記事です。当時、すでにイトウの数が減り、幻の魚と言われていました。現在ではほとんど見ることはありませんが、当時はイトウの釣り情報が日常的に新聞記事になる時代だったそうです。そこには河川名や場所が明記され、そのことがさらなる捕獲圧を高める結果となったことは想像に難くありません。また、現在ではキャッチ&リリースが普及し、釣ったイトウを食べる人は50年ほど昔に比べるとほとんどない状態だと思うのですが・・・。その記事では「釣ったイトウを刺身にして食べた」「鍋にして食べた」といった記述があり、時代を感じさせます。さらにそのイトウを釣った人がイトウとともに記念撮影をしているのですが、なぜか室内。自然の中ではなく、部屋の中で撮ったということがわかるものなのです。「これからまさに食べるぞ〜」といった雰囲気が伝わってきます。ほかに、佐々木栄松氏の小説にはイトウが主人公のものや、イトウを追い求める人々が登場するそう。野本氏はイトウのウロコもコレクションもお持ちで、嬉しそうに教えてくださいました。ウロコからはDNAを採取し、成長のスピードや年齢がわかるそうです。「調べれば調べるほど、釧路湿原とイトウは、もはや一つの文化になっていると感じているんです。」
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/
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