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2019.0411 O.A 「釧路で満喫!」 [various story]

松瀬 一昭さん(シンガーソングライター)
https://m.facebook.com/matsusekazuaki

今回は釧路でのeroticao liveのお話しでほぼ終わってしまいました。
3月31日に釧路で開催されたeroticao(KJ de la noche en estrellas 林田健司、オルドニェス薫、小野かほり、テラシィイ)をご覧になって
色々なことを考えた様子の松瀬氏。
「勉強になりました〜。楽しかった〜。」と。
ミュージシャンですから、やはり素人とは違う視点で観察なさっていたようです。
全体のステージング、曲の構成、MCのタイミング、イントロ作り、メンバー紹介のタイミングなどなど。
私もそれをお聞きして納得の一言しか出ませんでした。
確かに常にお客さんがどうしたら一番楽しんでくれるのだろう・・ということを一番に考えていらっしゃったのです。
この世界に長い一流のミュージシャンですらその様な事をしっかり考えて毎回ステージにのぞまれているのだとあらためて感じました。
さて、松瀬氏はこれから仙台や熊本でのライブも決まっているとのことですが、来月5月にまた釧路に戻っていらっしゃいます。
次回の放送には詳細をお伝えできると思います。
林田氏と曲作りについてもお話しをなさったそうですが、やはり書き続けなければ・・・という結論のようです。
松瀬氏は歌詞、メロディどちらを先に作られるのか伺いましたが、両方あるみたいです。
いつかいつか釧路のエッセンスが散りばめられた曲を作ってくださる日がくるのかしら?
たくさん釧路にはいらしているので四季を通じて色々な釧路を経験なさっていると思います。
この番組の中でご紹介できる日を期待して・・・。

a person of taste [path-art]

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五十嵐氏のライフワークとも言える蠣崎波響の研究。
今回は蠣崎波響について詳しく伺いました。
彼は江戸時代後期に松前で活躍した画家であり、詩人です。
松前藩主の子として生まれたのですが、数え2歳で家老職の蠣崎家の養子となり、少年期は江戸の藩邸で学を修めたそうです。
江戸の宋紫石に学んだのがこの頃。写実的な画風はこの頃に多く見られるそうです。
師によって画風は変化したそうですが、前半は鳥が多く描かれているとか。
京都では円山応挙に習い作風にも変化が見られたそうで、その頃は鶴亀を題材にしたものが多いそうです。
作品を見ても、詩を読んでも感じるのは、誠実で温厚な方だったのでは?と五十嵐氏。
様々な時代背景の中、時代に翻弄され、絵を描き続けた波響。
自分にとっての人生そのものの松前藩の為に絵を描き続けた時代。その作品1点1点からは願いというか、祈りが込められている。。。
それを感じることができると五十嵐氏はおっしゃっていました。
蠣崎波響はアイヌの指導者12人を精緻に描いた「夷酋列像」の作者として有名ですが、本職は松前藩の家老。
重職に就きながら優美な花鳥人物を多く描き、晩年は松前応挙とも呼ばれたそうです。
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※尚、写真は五十嵐聡美氏からお借りしました。
(風雅の人 蠣崎波響展は7/28まで北海道立近代美術館で開催中)
(前期:3/30〜5/26、後期:6/8〜7/28、前期後期で展示替えあり。)

2019.0405 O.A 釧路市立博物館 石川学芸員 「駅に想う」 [motto museum]

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先月、尺別駅と直別駅が廃駅になり、多くの方がセレモニーに参加なさったそうです。尺別駅は尺別炭鉱絡みで生活の足として使われていたこともあり、懐かしむ声が多かったそう。まさに青春のシンボルとしての駅といった感じでしょうか。駅の最後は寂しい感じが多い中、ほんわかした雰囲気が漂っていたそうです。直別駅は十勝と釧路の境にある駅、直別川を挟みあちら側が十勝、こちら側が釧路ということで両方から人が集まったそう。こちらは農場ができ、開拓されて利用された駅。「街は鉄道があると人が集まるとともに、鉄道マンが街を作るということをあらためて感じましたね。」と石川氏。北海道の鉄道は開拓・資源の開発等で作られました。現在では道路も整備され、ある意味鉄道の使命は終わったと言えるのかもしれません。ただ、鉄道があるからこそ楽しいとおっしゃる方も多いので、違う使命を見つけていくことが大事なのかもしれません。線路があるとないとでは大違い、提供できる車窓が違うと。くねくねしている線路も車窓という意味ではプラスになるとおっしゃっていました。鉄道を出発点に視野を広げると色々な事が見えてくるのは事実。今こそ新しい価値を鉄道に見出すべきなのでしょう。現在、鉄道に関する雑誌が6冊もあるそうです。それだけ需要があるという事。鉄道ファンが沢山いるということなのです。鉄道好きな方は好きになったら嬉しい事にリピーターになってくれるそう。北海道は鉄道によってつくられた地域とも言えます。鉄道が伸びることで地域が広がり、強くなる。資源が採掘されたり、開拓が広がる。北海道を語る為には、特に近現代は、鉄道を切り口にするのが最も早い道だと石川氏は教えて下さいました。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

2019.0404 O.A 邦楽(アイドル) [chord5]

・涙をみせないで / WINK
・夢の中へ / 斉藤由貴
・LIAR / 中森明菜
・17歳 / 森高千里
・太陽がいっぱい / 光GENJI
・黄砂に吹かれて / 工藤静香
~今回は平成最初のアイドル編です。
曲のセレクトはもちろん斎藤氏!今夜は斎藤氏とmidoriでお送りします。

2019.0404 O.A 「シジュウカラガンって?」 [various story]

日高哲二さん(自然ガイド&ポロト案内舎オーナー)
http://poroto.la.coocan.jp/

「釧路の上空でシジュウカラガンを見ましたよ〜。」エッ?シジュウカラガンってどんな鳥なんでしょう。
シジュウカラという小鳥は身近ですから、見かけることもありますよね。そのシジュウカラに似ていて頰が白いそうです。
実はこのシジュウカラガンは絶滅したと思われていたそう。
繁殖・子育ては千島列島、アリューシャン列島周辺。
大正時代頃に、キツネの毛皮をとるために、養殖されていたそうです。それが放牧状態。
そこで、そのキツネの餌にシジュウカラガンがなってしまい、ほとんどいなくなってしまったそう。
ところがその後、他の島に残っていたものを研究者や関係者の努力があり、復活したそうです。
現在、日本には5000羽くらいがやってきているとのこと。
十勝平野には春と秋に様々な渡り鳥がやってきて、そこでもシジュウカラガンが見ることができる様に。
越冬のため日本にやってくるのです。東北・北陸地方まで南下するそうです。
これからまた北に戻って行く一群が釧路の上空にいるところを日高氏はご覧になったのですね。
今のシーズンは北へ帰る鳥たちやその逆の鳥たちが上空にはたくさん。たまに空を見上げるとそんな鳥たちを見ることができます。
さて、ポロト沼にも今年もタンチョウが1つがい戻ってきました。だいたい例年通りの3月中旬。
ところが、去年のつがいとは違ったそうです。というのは、ペアの1羽に足環がついていたのです。
去年までのペアはどちらも足環がついていなかったので、違う個体とわかったのです。
足環によると2015年浜中生まれのオスと判明。タンチョウのオスは比較的生まれた近くで縄張りを作るそうです。まさにしかり。
ポロト沼には他のタンチョウもやってくるのですが、他のタンチョウがやってくると追い出そうとします。
ところが、このオスではなくメスの方が一生懸命追い払うので、「姉さん女房かな?それとも今までのオスがいなくなって若いオスにかえたのかな?」とは日高氏。


still living [path-art]

01柱の研究.jpg 02場の彫刻-大柱-.jpg 04場の彫刻IV.jpg 05黄昏、曙、青い柱.jpg 06黄昏、曙、青い柱ワークショップで子供から大人まで大人数で制作したもの.jpg
2018年10月から12月まで地元、苫小牧市美術博物館で個展を開催なさった藤沢レオ氏。
20年のキャリアの、現時点での集大成。全てのシリーズを新作で発表なさったそう。
初期は鉄の塊の様な作品群、鉄線を使った作品群、不織布と鉄を組み合わせた作品群、糸だけで彫刻を作るという作品群、そこから派生して木と鉄、
光と陰を使った作品群という感じにうつってきています。
それを一つの物語になぞらえて、全てのシリーズが同じコンセプトで繋がっていくという流れで展示なさいました。

彼は、「生」と「死」というものを形にしようとしています。
「死」を描くことでより「生命」を際立たせるという方法で彫刻を作っているのです。
「生命」は・・・こうして自分たちが生きているのは、どこからやってきたんだろうという問いに行き着き、それから歴史を辿り、
原人や類人猿のところまで遡ってみたそうです。
類人猿の頃は森の中とか洞窟の中とかで暮らしていた人類の祖先が、ある種壁のある空間、囲まれた空間から、どうやって大地を移動し始めたのか?と
一つの瞬間を想像し始めました。
大地に出ると雨風が体に直接あたる。
その時、身を守るために、例えば落ちている木の棒を組み合わせて何か雨をしのげる様な、今でいう屋根の様な機能を持った建物を作ったのではないか?
最初に木の棒か枝を大地に立てた時が僕らの命のスタートなのでは?
その行為が積み重なって今の世界に繋がったのではないか?と。
今も建物をたてる時には必ず柱は立てます。現在は、それが木や石や鉄であっても。
07不在の森.jpg 08近景.jpg09パサージュ.死ヌコトヲ知ル 生キルコトヲ知ル 生マレルコトヲ知ル 知ルコトヲ知ル.jpg 10パサージュ.jpg
IMG_5382.jpgアートへの愛情、一番熱いものは?
「問いを重ねられることが僕の中ではものすごく面白いんです。
回答を設けるのではなく、度々に回答はでるけれど、その中でまた新しい問いが生まれてくる。
それを探求していくのが楽しい作業なのです。
アートってよく答えがないと言われますよね。でも僕はその時々では答えを出しています。
その答えは僕が決めることができるわけです。だからその連続が楽しい作業なんですよね。」

今年は韓国やフランスなどでの滞在、および制作活動?が決まっているそうです。
彼曰く、次の種まき期間。充電している暇はないとのことで、それをしつつ種をまく2019年になりそうです。
※尚、写真は藤沢レオ氏からお借りしました。

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