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2019.1227 O.A 釧路市埋蔵文化財調査センター 澤田学芸員 「昔の人のお家」 [motto museum]

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「家というのはやはり落ち着く場所ですよね」と澤田氏。現在の家は基本暖かくガスや水道、電気が完備されています。では昔の人の家はどんなものだったのでしょう?縄文時代(北海道ではアイヌ文化の前、擦文時代)までは竪穴住居に住んでいました。地面を掘りくぼめ、上に屋根をかけた半地下式の住居。基本4本のメインの柱をたて、そこに梁や垂木をかけて屋根をかぶせる構造。屋根の材料にはヨシ、カヤ、木の皮などが使われました。中には土をかぶせる住居も。北海道東部では縄文や擦文文化の竪穴住居跡が埋まりきらずに残っている場所が多く見られるそうです。釧路では春採台地竪穴群や武佐の森、北斗遺跡など。かつては厳島神社から貝塚に抜ける釧路川左岸の台地に無数に残されていたそうです。釧路湿原の周りには現在に至るまで約500ヶ所の遺跡が確認されています。竪穴のくぼ地、土器捨て場、チャシ跡など。北斗遺跡は釧路湿原西縁の丘陵地に立地していて、見晴らしがよく、東西2.5km、南北0.5kmの範囲に竪穴と考えられるくぼ地が334軒も残されているそうです。なぜ家の話をしたのか?なのですが・・・。北斗遺跡の竪穴住居は湿原に生えるヨシを屋根材にしています。この屋根材は少しずつなくなっていきます。風に飛ばされたり、キツネがいたずらしたり、腐ったり。よって屋根をふき足していかなければならないのです。毎年11月になると、新釧路川の川岸でヨシ刈りを行なっている澤田氏。これが大切な仕事の一つなのです。一説によるとまっさらな状態から竪穴住居1軒建てるためには80cmの長さで30cm程のヨシ束が1200束必要なのだとか。今回の目標は80束で概ね完了したそうです。川が近いので強風になる場合も多く、とにかく寒い。さらに凍るか凍らないかの時期に実施するので気をつけないと膝下あたりまではまるそう。「この作業をする度に昔の人の家を建てる労力は相当なものだなと実感するんですよ。」
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/maibun/shisetsu/1001.html

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