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2020.0306 O.A 北海道立釧路芸術館 藤原学芸員 「三岸好太郎」 [motto museum]

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三岸好太郎は、1903年に札幌で生まれ、1934年に旅先の名古屋で病死するまであまりにも短い生涯をおくりました。画業も10年ほど。彼が制作を行った大正末期から昭和初期は日本の洋画界がヨーロッパ絵画の新しい潮流を吸収しながら、ようやく一人歩きを始めた重要な時期でした。いわば青春期とでも言うのでしょう。三岸好太郎は、まさにこの時代に画家になるために上京します。アルバイトをして苦労しながら独学で絵の腕を磨き、やがて綺羅星のごとく画壇に登場。初期は平面的な具象、素朴な情感の漂う人物画、風景画等を描いていました。1926年、中国を旅行します。制作の新たな方向を模索していた彼にとって、中国での見聞は、やがて三岸の作風の展開に転機をもたらすことに。1929年、三岸は道化をモチーフとした作品を発表します。その表現は、彼の新しい境地を示すものとなり、憂いを感じさせる道化等一連の作品が制作されていくことになります。その後1932年、大きく作風を転換。ひっかき線による作品や抽象作品など、前衛的な作品が。1934年、三岸の作風はまたも大きく変貌。蝶や貝殻がモチーフとなり、夢幻的な光景が描かれました。短い間に次々と作風を変化させ、挑戦し続けた感じの三岸、「新しいことに次々挑み、様々な評価と脚光を集めながら、突然に飛び立っていった・・まるで彼が描いた蝶の様に。」とは藤原氏。フレッシュでエネルギッシュな画業は、まさに日本洋画の青春期を体現していたのかもしれません。北海道ゆかりの画家たちにとってフロントランナーの様な存在だったのでしょう。彼の作品には様々な作風のうちにも一貫して特有のロマンティシズムが流れていると言われています。その背景には大正デモクラシーの自由な気風に満ちた札幌での生活、自然豊かな北国の風土があったのではと考えるのは自然な流れだと私は思います。
http://www.kushiro-artmu.jp/

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