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sculpture of location [path-art]

IMG_1522.jpg 近年取り組んでいるのは「場の彫刻」というシリーズ。
素材は様々。鉄を使いつつ、木、プラスティックも使ったり、作品の大きさも様々。
長年取り組んできた地域の活動「樽前arty」。
苫小牧の樽前地区を拠点に、地域を使ったり、そこにある小さな小学校を舞台にした美術展を展開し、
その活動を10年以降続けてきた中で、自分の彫刻に対する考え方が徐々に変わってきたそうです。
もともとは形がポンと置いてあるものが彫刻という考え方があります。
近年はそれをどう場と調和させるか、場との関係をどう考えるのか、ものを置いたことでその場所がどう変わっていくのかということ、彫刻の概念が拡張され、広がってきているそう。
それが拡張し続けることは彫刻にとってしあわせなのか?今度は逆にそう考え始めたのです。
もともとのモノだった部分は一体それは何の役目になるのだろう?拡張していくことが目的になりつつあったので、それは彫刻からはずれるし、そうなると芸術という考え方も変ってきます。自分の中で疑問がわいてきたと。
一旦拡張する時間を形にできないかと思い、広がっていく現象を、また逆に形に置き換えられないか・・・と自分の中でそういう作業が始まったとおっしゃっていました。
もともと形を置いてその場所がかわっていきました。その形にはどんな意味があったんだろうと今考え直しているということ。
最初のきっかけがあり、広がっていく兆しがあり、それには芸術とか美術とか、彫刻が関わったはずだということをどう証明しようかなというのが「場の彫刻」の考え方なのです。
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作品は・・例えば何もない森の中に鉄の柱を建てました。そこに観覧者がきた場合、もともとのその場所の意味は変わります。
森の中に行くといういうことと、森の中にある柱の付近にいくということは少し意味が変わってきます。それがきっかけ。
そこで見る人の行動がおそらく変わると考えられます。意味がなかった森の中に何か意味がたちあらわれたのです。
柱が建つことでそれが一つの意味になり、そこを体験する人がもともとの森で感じたこととは違うことを感じるのです。
その心の変化を体験してほしいと。
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自分の生活の中で常に疑問がつきまとっていて、それがことある度に形に置き換わっていくそう。
例えば、どうして生きているんだろう、どうして死ぬんだろうというところからスタートして、その中で、どうして法律があるんだろう、法律は何をもって人を守っているんだろう等細部としてはそういう部分にいくのです。その一つ一つの疑問をつぶしていく感覚。
今までの作品もスタートは大きな疑問。作品として見せている部分は割りと上澄みの一部。まずは興味をもってもらいたいとおっしゃっていました。
作品は観客とのコミュニケーションのひとつ。それを通してコミュニケーションをとりたいのです。
疑問は途切れない。ひとつの展示がまたあらたな疑問を生み出す・・・。
今後の展開、作品の方向性は「場の彫刻」は素材がどうなっていくのか?それがなくなる可能性もあるのです。
「現状のシステム、決まり事、ルールをゆるやかにアートの力でゆるやかに変化させたいんです。
クリエィティブな考え方をする人が増えると端っこからでも変わっていきます。同じシステムだったものが多少形を変えてきているんですね。
変えられないとは思いません。それを芸術と呼ぶかは別問題だと思いますが。
クリエイティブな考え方、アイディアはなんらかの変化をもたらすのには可能性と希望をもっています。」
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※尚、写真は藤沢レオ氏からお借りしました。
上から2番目の左:樽前artyでのワークショップ「たるまる学校」 小学校低学年のクラスで、目をつぶって、手探りで絵を描く。 
右:「場の彫刻 I」 場の彫刻シリーズ第一作。
上から3番目の左:「場の彫刻 IV」 場の彫刻第四作目。 右:「場の彫刻 V」 場の彫刻第五作目 既存の建築を変化させています。
上から4番目中央:「場の彫刻 VI」 場の彫刻第六作目。最近作。 既存のカフェをギャラリーに作り変え、作品空間に転換。

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