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2011.0826 O.A 佐藤 修氏1

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高校卒業後から釧路石炭販売の会社に勤めあと少しで50年を迎える佐藤氏。現在も現役です。
そもそも事務の仕事で入られたそうですが、空き時間を見つけては様々なことに携わりました。
当時は石炭を運ぶのはトラックではなく、どさんこによる荷馬車でした。
その荷馬車に石炭を積み込む作業、それを配達する作業も手伝いました。
石炭全盛期の頃です。すべて石炭でまかなわれていた時代。一般家庭や学校に配達しました。一般家庭に一度に運ぶ石炭の量は1トンから15トン。学校には100トンから200トン運んだそうです。どれだけの量なのかまるで想像がつきません。なかでも大変だったのは炭箱が遠くにあり、荷馬車を側までつけることができなかった時なのだそう。一度荷馬車から「かます」に入れてそれを「のんこ」と呼ばれるフック型のもので肩に担ぎ、何度も荷馬車から炭箱まで往復したそうです。ちなみに一度にかますに入れる量は50キロ。20回以上は往復した計算になります。佐藤氏は当時体力はなかったそうですが、それで肩の筋肉がついたり、胸板が厚くなったとか・・・

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