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2019.0726 O.A 釧路市立博物館 野本学芸員 「屈斜路湖にイトウがいた!」 [motto museum]

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とは言っても昔のお話しです。
10年ほど前に、野本氏がイトウの生息記録に関する文献を整理するかたわら、昭和初期に書かれた報告書の一文に釘付けになったそう。その内容とは・・・。昭和4年(1929年)頃の話しとして「イトウは主に釧路川に生息しているが、5月上旬から産卵の為に釧路川を遡上して屈斜路湖流出部付近までやってくる。そのイトウを狙って、屈斜路湖内に刺し網を仕掛けて、体長約67〜98cmのイトウを捕獲し、人工採卵を行い、受精させた」という孵化場の事業報告でした。また、当時の同孵化場におけるイトウ親魚捕獲数については、1928年〜1935年の8年間に合計1517尾のイトウ親魚の捕獲を行い、イトウ稚魚の放流事業を実施とあったそうです。試験的事業とはいえ、80年以上も前に道東の奥地でこれだけ大規模なイトウの孵化放流事業が行われていたことを知り驚いたと。でもそれ以上に驚いたのは「合計1517尾」「毎年200尾前後」というイトウ親魚捕獲数を指す数字。当時、イトウのメスのお腹を切って卵を取り出す方法で行なっていた事を考えると、多くのイトウが犠牲になっていたことは想像に難くありません。でも8年に及んだ事業の最終年(1935年)の捕獲数は280尾。それ以前の過去7年間で累計1362尾ものイトウ親魚の捕獲を行った後の話しです。この数字に間違いがなければ、ものすごい数のイトウが当時、屈斜路湖に産卵遡上していたことになるのです。その後、人工孵化放流事業終了した約3年後の1938年、屈斜路湖にいたイトウは思いもよらぬ理由で全滅することに。実は1938年に屈斜路地震で湖水が酸性化し、ほぼ全ての魚類が死滅したのです。それから月日は流れ、今から20年位前にはアメマス、サクラマス等のほとんどの魚たちが屈斜路湖に戻ってきたそうです。
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/

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